RN建設 創業100周年記念誌
37/104

フェニックス総合レジャーセンター万国博覧会美術館河北潟干拓工事フェニックス国際観光㈱万国博覧会美術館新館工事㈶日本万国博覧会協会農林省(現 農林水産省)北陸農政局海上土木 建築建築フェニックス総合レジャーセンター建設工事河北潟干拓工事 1970(昭和45)年に大阪府の千里丘陵で開催された万国博覧会は、アジアで初めての国際博覧会だった。当社は高速道路や浄水池の建設のほか、万国博覧会美術館の新築工事を4社のJVで受注した。大量のガラスを使用した斬新なデザインで、人工湖に浮かぶように見える佇まいであった。期間中は世界的な美術品の展示が予定されており、それらをいかに最良のコンディションで見せられるか、実験を繰り返しながら建設を進めていった。 美術館は地上4階建、延床面積1万418㎡で、美術品を長期的に安全に保護できるようRC造としては限界に近い長スパンを実現した。このように美術館は世界の一級品を展示するのにふさわしい最高の技術とセンスで設計、施工した。 石川県の河北潟干拓事業は1960(昭和35)年、農林省(現 農林水産省)によって干拓計画が企画されたもので、2,200haの河北潟のうち1,400haを干陸して1,200haの農地を造成するとともに、3,300haの潟沿岸の耕地を排水改良するものであった。着工は1964年で、当社はこのスタートの6月から他の2社とともに参入し、翌1965年より本格的な工事を開始した。干拓の工法は八郎潟干拓とほぼ同じく築堤線の軟弱地盤をヘドロ処理し、河北潟より日本海に貫く放水路掘削による砂丘の砂を適所に設置した溜桝に運搬し、それと連携して盛土築堤していくものであった。そのほか放水路の新設、防潮水門の新設なども行った。1970年5月、干陸式が行われ、出席した農林大臣代理らの手によりポンプの始動のスイッチが入れられた。河北潟の水が抜かれて、半年後には河北潟の湖底が姿をあらわすことになった。 1969(昭和44)年頃、フェニックス国際観光では、ホテル・フェニックスに続き、レジャー施設として日向灘に面した広大な土地に、巨大な総合リゾート施設を計画した。194室のシーサイド・ホテル・フェニックスをメインに、99万㎡のゴルフ場、13万2,000㎡の遊園地、プールなどを配する、文字通り「超大型」の建設工事であった。 計画において苦心したのが、防潮保安林の解除だった。砂防機能を損なわない施設計画であることを、当社担当者が約5カ月かけて管轄官庁に説明し、ようやく1969年12月に着工の運びとなった。その後、南国特有の雨量などにも悩まされながらも工事は進行し、1971年3月にすべてが竣工した。 完成後の1972年、同レジャーセンターは第13回建設業協会賞(以下、BCS賞)を受賞し、翌1973年4月には天皇・皇后両陛下の宿泊にもあずかった。飛躍期 1966(昭和41)−1975(昭和50)35飛躍期1970 昭和45年1971 昭和46年

元のページ  ../index.html#37

このブックを見る