日立造船堺工場第1号ドック日本大学商学部国立横須賀病院日立造船㈱(現 カナデビア㈱)日本大学商学部砧校舎新築工事学校法人日本大学国立横須賀病院陸上土木建築建築日立造船堺工場第1号ドック新設工事国立横須賀病院新築工事 1963(昭和38)年、東京都世田谷区砧に日本大学商学部の総合校舎建設計画が持ち上がった。場所は、映画会社・新東宝の所有地であった。当初、第1号棟から第3号棟までの建設予定で、同大学の営繕室が設計にあたったが、当社の工事見積と大学側の予算が大きく乖離していた。粘り強い交渉の結果、設計変更を含む見積額変更に漕ぎつけることができた。着工は1963年9月で、第3号棟まで竣工したのは1966年3月であった。 同学部では第4号棟建設を計画し、建ぺい率の問題から隣地の買収を企画して当社に発注した。当社は将来のためこの地域の建ぺい率の改正運動を展開したところ、第4号棟の施工中に実ったため、大学側では隣地買収を行わずに済むことになった。その後、第5号棟建設も受注し、1968年12月に着工した。こうして同学部の校舎すべてを手がけるほど、大学からの信頼を得ることができた。 当社が受注した国立横須賀病院新築工事は、鉄筋コンクリート造、地上7階建、延床面積6,257㎡の総合病院であった。工事は1期と2期に分かれており、1期を終了してから2期の入札を行うため、連携が課題であった。1964(昭和39)年2月に着工した1期工事はコンクリート打ちの躯体工事のみであり、工期内に終了させるため各部署が奮闘した。その後2期工事を受注して1964年10月から内装工事に着工したが、1期と2期の間の時間ロスが大きく、スケジュール通りに進めるため多くの調整が必要となった。 現場は病院敷地内のため、環境衛生と防火対策には特に力を入れた。こうして1966年3月に病院は竣工した。 1965(昭和40)年、大阪湾に注ぐ大和川河口の南側、大規模埋立工事によって生まれた23万坪(約76万㎡)の土地に日立造船(現 カナデビア)の大型ドック建設が計画された。活況を呈していた造船業界にあり、同社も大型タンカーの需要に応えるための設備増強を図っていた。当社はこの新設工事を受注し、1964年3月に着工し1966年3月に竣工した。間組(現 安藤・間)との共同請負であった。 25万tドック2基をはじめ、その他近代的施設を完備した総合重機械工場で、ドックは長さ400m、幅56m、深さ12.5m。中間ゲートによって2つに仕切られる日本初のセミ・タンデム方式を採用したことで、同時に1隻半の船舶建造が可能となった。飛躍期 1966(昭和41)−1975(昭和50)31飛躍期
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