RN建設 創業100周年記念誌
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30資生堂本社ビルホテル・フェニックス資生堂本社ビル建設福原興業㈱(現 ㈱福原コーポレーション)ホテル・フェニックス新築工事フェニックス国際観光㈱ 高度経済成長のなか都市人口は拡大し、共同住宅や住宅地の開発が進んでいった。また生活が豊かになりレジャー施設や商業施設が次々と建築され、食を支える大規模干拓事業も行われた。一方、新幹線や高速道路のインフラ整備が進み、港湾地区に工場地帯が造成され、輸出の拡大に伴って大規模な港湾整備と、造船所の大型化が次々と計画された。また日本企業の海外進出により、海外での工事も行われるようになった。建築建築 工事は年の暮れも差し迫った1964(昭和39)年12月に、旧社屋の解体工事から開始された。人通りの多い銀座のため、解体工事は夜中に行われることとなり、屋上にあった会議室から解体が始まった。一方で、同社の社員がまだ勤務しているため、建て替えの間の移転先となるビルの改修を昼夜兼行で行った。移転が終わり、地上部分の解体工事が終了したのは1965年3月下旬だった。 地上部分の解体は完了したものの、地下部分の解体が残っていた。工事用スペースが限られているため、綿密な計画と検討のもとに工事が進められた。特に施工にあたっては、当社初となる逆打ち工法を採用した。設計部構造係との連携のもと、安全かつ無駄のない方法であった。こうして1966年12月、多くの注目を集める銀座の地に、新たな資生堂本社ビルが竣工した。 1960年代、高度経済成長と歩調を合わせるように国内でレジャーブームが巻き起こった。宮崎市の海岸沿いも観光客や新婚旅行客を積極的に呼び込むエリアの一つとなっていた。宮崎市北部のホテル・フェニックスは、フェニックスの並木の公園とカモメが飛び交う大淀川の河畔を背景に計画されたリゾート・ホテルである。着工は1964(昭和39)年10月で、当社は現地に宮崎工事部作業所を設置、スタッフは所長以下総勢11名でスタートした。敷地面積7,449㎡、延床面積9,858㎡で、地下2階地上11階建のホテルの正面には大理石を貼った。 竣工した1966年3月には竣工式と披露パーティーが開催され、高松宮妃殿下も臨席された。飛躍期1966(昭和41)−1975(昭和50)1966 昭和41年

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