日光第二いろは坂小名浜港2号埠頭1号岸壁築造工事東海道新幹線清水附近(工区全長3.5km)日光道路(現 いろは坂)第1工区工事日本道路公団(現 東日本高速道路㈱)東京支店東海道新幹線清水附近路盤その他工事日本国有鉄道(現 JR東海㈱)静岡幹線工事局小名浜港2号埠頭1号岸壁築造工事運輸省(現 国土交通省)第二港湾建設局海上土木 陸上土木陸上土木 日本の戦後復興におけるシンボルの一つが東海道新幹線の開通である。東京−大阪間を約4時間で結ぶ新幹線は、1964(昭和39)年開催の東京オリンピックを通じて、国内外へ技術力と産業力をアピールする機会となった。 当社が受注した新幹線建設工事の一つが、静岡県清水市(現 静岡市清水区)付近の路盤工事であった。当時、工事部には土木部門の技術者が少なく、この工事のために新設した鉄道工事部は取締役を部長に任命し、総勢15名で発足させた。工期は1961年1月から1964年1月であった。 工事にはメタルフォーム仮枠、ライトゲージ、ビティ足場などの新工法を初めて採用した。全長3.5kmの路盤の盛土および延長800mの高架橋の一部を施工した。清水市在住の当社OB社員や、地元住民の理解もあり、完成を迎えることができた。 1960年代、モータリゼーションの伸展を受け、日本道路公団(現 東日本高速道路)は各地に新たな道路建設を進めていた。日光道路いろは坂もその一つで、当社は第1工区を担当した。いろは坂はヘアピンカーブが連続する複雑な道路で、カーブは曲線が徐々に深くなるクロソイド曲線に適合するよう設計されたことから、難工事となった。 1963(昭和38)年10月に着工し、翌1964年12月が完成予定であったが、この年は東京オリンピックが開催され、その余波で10月には日光へも国内外から多数の観光客が殺到すると予想されていた。そのため日本道路公団では、工期中でも通行可能にしたいという希望を持っていた。そこで突貫工事で防塵舗装を施し、仮の開通に漕ぎ着けた。当日は1万台の自動車が殺到した。それ以降は道路を再び閉鎖し、年末に向けて仕上げ舗装を完了させた。 高度成長期、東北の太平洋側でも港湾整備が加速していた。当社は小名浜港2号埠頭1号岸壁築造工事を担当した。形成期 1946(昭和21)−1965(昭和40)29形成期1964 昭和39年
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