□□□□福岡ビル五料橋橋梁復旧工事㈱福岡銀行日本炭礦㈱日本発送電㈱群馬県陸上土木建築陸上土木陸上土木二島坑道□立工事津江発電所新設工事五料橋橋梁復旧工事福岡ビル新築工事 筑豊炭田は明治以降の殖産興業を背景に発展し、若松市(現 北九州市若松区)は石炭積出港として栄えた。日本炭礦は若松市大字二島に二島鉱業所、水巻町頃末に高松鉱業所を置き、採炭は二島埠頭から船積みした。1950年代後半には各坑道を連絡し、二島斜坑での一括揚炭・選炭体制が整えられた。 当社は戦後、日本炭礦より若松市内の2件を受注した。1951(昭和26)年8月から翌1952年3月の二島選炭機基礎工事と、1960年5月から11月の高松鉱業所二島坑道掘進工事である。□立など操車場機能を踏まえた基礎、坑道の更新を行った。 大分県と熊本県の県境を流れる筑後川水系の津江川に、1951(昭和26)年7月、出力2,600kWの津江発電所が竣工し、運転を開始した。この新設工事は、日本発送電(後の九州電力)より当社が受注した。 津江発電所は小水力施設であったが、戦後復興期における地域電源の重要な一翼を担った。しかし1972年に竣工した下の建設に伴い、発電所の所在地を含む一帯が貯水池として水没することになった。22筌 五料橋は、群馬県佐波郡玉村町五料と伊勢崎市柴町の間の利根川に架かる群馬県道142号綿貫篠塚線の道路橋である。利根川は「坂東太郎」と呼ばれる日本三大暴れ川の一つであり、度重なる氾濫で長らく恒久橋の架橋は困難とされてきた。初めて橋が架かったのは1891(明治24)年のことで、木船8艘を並べ、橋板を渡した舟橋(沼柴船橋)であった。その後、舟橋は撤去されて渡し船へ変更され、さらに木橋へ架け替えられた。 当社は戦後、群馬県から五料橋橋梁建設を受注し、1953(昭和28)年に木・鉄混合の2連吊り橋を完成させた。軽快な曲線を描くその姿から、地元では「虹の吊り橋」と親しまれ、利根川流域における交通の利便性向上と地域の発展に寄与した。ダム 戦後復興を遂げようとしていた日本に、ビルブームが巻き起こっていた。東京都中央区八重洲地区に福岡銀行の東京支店として福岡ビルが建設されたのも、その最中であった。用地買収には、当社上野浩社長自ら奔走し、予定の半分の土地が入手できた1952(昭和27)年11月に、第一期工事の着工となった。設計は同行の設計部が担当した。工事中に生じた周辺からの苦情にも社長自ら説得におもむいた。 基礎工事ではまだコンクリートパイルはなかったので、松のベタ基礎杭打ちであった。本工事の特長は、9階最上階まで外壁に水磨き本御影石を貼り詰めた点で、戦後の建築物ではこれが初めてとされている。こうして1954年10月に竣工した建物は、地下1階地上9階建で、当社として戦後初めての大型工事となった。1953 昭和28年1954 昭和29年
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