RN建設 創業100周年記念誌
23/104

品井沼駅、鹿島台駅間吉田川橋梁改良工事東北本線品井沼駅、鹿島台駅間吉田川橋梁改良その他(土工その2)工事日本国有鉄道(現 JR東日本㈱)盛岡工事事務所青森県八戸港改修浚渫工事青森県日本鉱業㈱(現 JX金属㈱)海上土木 陸上土木建築海上土木 日本鉱業葵ビル新築工事国営熊本県八代干拓工事農林省(現 農林水産省)熊本農地事務局 戦後復興が進み始めるなか1947(昭和22)年、当社は青森県からの発注を受け八戸港の改修浚渫工事を実施した。終戦当時、渡□製鋼所で建造中だった1,000馬力の電動ポンプ船を八戸市が購入し、「三八城丸」と命名された。当社が傭船して作業に当たり、乗組員の指導養成も兼ねて施工した。工期は1947年8月から翌1948年12月であった。 1947年8月中旬に、社員らが現地に赴任したものの、当時は住宅難と輸送制限により宿舎を確保できず、休業中の料理店や網小屋を借り受けて寝起きしなければならなかった。また食糧難のため米や麦が入手困難で、近隣からとうもろこし粉を買い集めて飢えをしのいでいた。電力は統制により深夜のみ供給されるという状態であった。さらに、馬淵川放水路が未完成であったため港内への流入水が多く、秋からは波浪、冬季は凍結に悩まされるなど、終戦直後の厳しい条件のもとでの施工となった。 日本鉱業(現 JX金属)は東京都港区赤坂葵町(現 東京都港区虎ノ門二丁目)に本社ビルの建設を計画し、当社がこれを建築することとなり、1949(昭和24)年4月に着工し、翌1950年5月に竣工して、9月に同社は中央区日本橋室町から移転した。 当社は1948(昭和23)年、農林省(現 農林水産省)の国営事業である熊本県八代干拓工事に参画した。この頃より政府の食糧増産対策事業として各地に干拓事業が企画され、当社はこれに参画するようになった。八代干拓工事では、1942年の風水害により本堤が損傷したため、捨石の上に築堤するという工事がされていた。このため海水が捨石の間から出入りし塩害が深刻化していた。農林省では汐止めする必要から工事を進めていたがうまくいかず、当社に依頼があった。調査研究の結果、この捨石の目潰しをすることとし、もとは当社の持船であり、当時鳥居組所有となっていた1,000馬力電動ポンプ船「八代丸」を傭船し、本堤の内外から目潰しを行い、約1週間で汐止めに成功した。その後干拓工事が進められた。工期は1947年8月から1950年3月であった。 宮城県を流れる吉田川は奥羽山脈に源を発し、松島町で鳴瀬川に合流する一級河川である。合流地点近くには品井沼遊水地があり、古くから洪水氾濫を繰り返してきた。江戸時代から干拓事業が進められ、1950(昭和25)年にはサイフォン式排水路が完成し、長年の課題であった遊水地の治水工事が一段落した。 1951年、当社は日本国有鉄道(現 JR東日本)盛岡工事事務所より、品井沼駅、鹿島台駅間吉田川橋梁改良工事を受注した。橋梁は丸太足代を組んだ仮桟橋の上にレールを敷き、ナベトロ(鍋のようなトロッコで砂利などを運搬するのに使われた)でコンクリートを運搬・打設する当時の標準工法で橋脚を構築した。上部工にはテノベ式と呼ばれる工法を採用し、近代化された橋梁として完成させた。品井沼干拓による治水改善と歩調を合わせた鉄道インフラの更新事業であった。形成期 1946(昭和21)−1965(昭和40)21形成期1950 昭和25年1951 昭和26年

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る