16日産館(1960年代には三井物産本社) また1934年には日産館の建設工事にも着手している。巨大なコンツェルンとなった日本産業は、久原鉱業時代からの丸の内の本拠が手狭となったため、新たな統合事務所を新築する計画を立ち上げた。工事は順調に進み、日産館は予定どおり1937年7月に竣工を迎えた。1,260坪の敷地に豪華な白亜の産業殿堂が完成すると、その堂々たる姿は、市内屈指の近代大建築として注目を集めた。余談ながら、計画当初はこの日産館には日本産業本社だけではなく、主だった直系子会社がすべて集約する計画だったが、完成間近になり各社を割り当てるとすべてを収容することができなかった。それほどまでに日本産業は当時、急速にグループを拡大していた。 この頃、系列以外の案件として、富山県営の愛本発電所および広島県の因島ドック建設も手がけている。愛本発電所は1934年頃に水路工区の建設が始まり、全3区のうち、第2工区を中央土木が受注した。この発電所は、受注金額が65万8,600円、約3万kWの水路式水力発電所であり、当時は全国でも有数の大規模工事だった。水路隧道は高さ7m、幅5mという大型構造で、当社が受注した水路は全長2,500mに及び、その途中に水路橋を設けた。具体的には宇奈月温泉の手前の谷部において、谷底から100m上にケーブルエレクション工法で鉄骨のアーチを組み、それに5×6m断面のコンクリートボックスの水路を構築した。この水路橋は、荷重の関係から技術的には至難の作業だったが熟練者の指導の下、無事に完工に至った。 因島ドックの建設工事を受注したのは、1936年頃のことである。大阪鉄工所(のちの日立造船、現 カナデビア)において広島県因島に東洋一の規模を持つドック建設の計画が進められていたのだが、偶然にも大阪鉄工所社長の六角三郎が宮長の久原鉱業時代の上司だった縁もあり、中央土木が落札することができた。ドックの規模は3万D/W、長さ220m、底幅30m、上幅38m、深さ11mという非常に大きな規模にもかかわらず、1936年6月着工、翌1937年12月には完成し、当時としては驚異的なスピードで工事が進められた。現場員一同の完璧なチームワークに加え、労務者も全期間昼夜二交代制で尽力
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